フルスクリーンお絵かきソフト fulldraw v0.7.5 公開中

最近(2017年-2018年)、また自作のフリーソフトを製作した。製作期間は一年間で、ようやく、いい具合の完成度に到達した。ぜひ使ってみてほしいので、この宣伝記事を書くことにした。

紹介

全画面(フルスクリーン)でお絵かきできる Windows 10 用のアプリケーションだ。

その名も fulldraw だ。("fullscreen drawer" の略). 軽量(18.5KB)・軽快。

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ダウンロード

以下のサイト(GitHub)からダウンロードできる。

補足

上記サイトの fulldraw.v0.7.5.zip というリンクをクリックする。

あるいは、直接、ダウンロード URL https://github.com/0mg/fulldraw/releases/download/v0.7.5/fulldraw.v0.7.5.zip で取得できる。

特徴

  • 無料で使用できる。(ただし何が起きても自己責任)
  • ソフトを終了するには、キーボードの Esc ボタンを押す。
    • または、右クリックメニューから「終了」を選択する。
  • fulldraw は、ワコムのペンタブの筆圧を検知し、応じて、線の大きさが変わるようにしてある。
    • 線の大きさや筆圧感度の調整はキーボードの上下左右(↑,↓,←,→)で行う。
  • このソフトは起動中、全画面(フルスクリーン)で表示される。画面の全てがキャンバスであり、広くも狭くもならない。
  • 背景は真っ白で、カーソル以外は何も表示されない。集中できる。黒い線を引くことができる。
  • 描いた絵は PNG 形式の画像として保存できる。

その他

  • Windows 8, 8.1 でも、もしかすると動くかもしれない。
  • Windows Vista, 7 では、間違いなく動かないだろう。
  • ワコム以外のペンタブでもうまく動作する可能性がある。
  • 可能な操作は、全て、右クリックメニューの項目にある。
  • 参考リンク: Windows apps - 0mg

アニメ「シュタインズ・ゲート」感想

2017年8月某日に書いたものである。

観るきっかけ

アニメ「シュタインズ・ゲート」を観た。

最初にこの作品の名前を聞いたのは、とあるニコ生主によるダークソウル3実況プレイ中の雑談でだ。その人が、おもしろいと言っていたので、気にはなっていた。次に聞いたのは、数か月後、漫画家の大井昌和さんのコミックガタリーという放送で、漫画を描いている間、エンドレスリピートで観ていると言っていて、より気になり始めた。

さらに数か月後、ある日、アマゾンプライムの動画一覧に、存在しているのを見つけた。しかし、この時点では、そもそもアニメを観たい気分にはなかった。しかしながら、時間はあったので、観てみることにした。

前半

この作品は、大きく分けて、前半と後半に分かれる。前半はつまらない。たとえば、SHIROBAKO という作品は、冒頭の10分くらい、女の子たちが集まってワイワイやっていて、「これを観ても自分は何も得ることはないだろう」としか思えない。ただし、それは冒頭の10分くらいに限られていて、それを除けば、ひたすらにおもしろい。

シュタインズ・ゲートもこの手の構成で、しかし、つまらないのは冒頭10分などという短い間に限ることはなく、前半の 1話~12話 くらいまでは 8 割方きつい。まず、主人公が自らを中二病と言っていて、架空の通話相手と通話をよくする。仰々しい物言いや、終始演技のように振る舞っていて、本質から逃げつづけているかのようだ。そもそも中二病というネットスラングだったり、その他、2ちゃんねる的な掲示板が出てきたり して、作品内がネット臭く、この時点で、もう嫌な感じだ。

突然、大きな音がして、人が血を流して倒れている。主人公は、建物から出る。眩暈のような演出が入る。何かおもしろいものが始まるかと思いきや、何事もなかったかのように、日常に戻る。主人公の人格には難があるが、性根は非常に良い人で、人間関係には恵まれている。女A, 女B, 女C, 女D と、何人かの女と仲良くしているシーンが次々に流れる。こういうのをギャルゲー的とかハーレムとか言うのだろう。

ここまで観て、これおもしろいか? これからおもしろくなるのか? 自分には合わないんじゃないだろうかと不安でしかなくなるのだが、実は、この設定こそが、重大な伏線である。この嫌になるほど平和でつまらない世界を、後半を楽しむためには必ず知っておかなくてはならない。現実では誰も体験したことのない、しかし、条件が揃えば起こりうる現実的な恐怖を味わうために。

主人公は研究をしていて、偶然にも、時空を操作できる電子レンジを発明してしまう。この辺りで、ようやくおもしろくなってくるかと思いきや、これもまだ序の口であり、話の主要な部分がなかなか進まない。電子レンジを応用して、過去にメールを送ることに成功する。これによって、宝くじを云々したり、男だったキャラを女に改変したりする。ここまでは普通の過去改変で、特におもしろいところはない。過去を改変したことはいいが、改変したという記憶を主人公以外が保持していないのが恐ろしいところだ。かつて男だった女キャラに対して、主人公は「お前は男だった」と告げるが、当人を含め周囲の人間の誰もが、「いくら冗談でもそこまでひどいことを言うもんじゃあない」という反応しかしない。過去改変後の現在において、そのキャラは最初から女だということになっており、かつて男だったと知っているのは主人公だけなのだ。

主人公の中では、相手とのふれあいが、本物の記憶として残っているのに、相手は覚えていないし、地球上・宇宙上で誰一人として知っている者はいない。これほどの孤独・恐怖があるだろうか。

かつて男だった女キャラは、最初から、男の娘として描かれており、いわゆる萌えキャラという位置付けで、そういう、下心のみによって生成されたキャラが嫌いだから、登場時点で、こんなキャラ不要だろ、どういう意味もねえんだろどうせ、としか思わず観ていたが、こうなってくると、味わいが出てくる。

後半

前半の重要部分はそれくらいで、あとは、オタクの街・秋葉原が、そうでない街になるような過去改変が行われ、それを知っているのは主人公のみ、といった、同じ種類の恐怖が繰り返される。それ以外は、おおよそ平和な日常ではあるので、前半はわりと退屈だった。

後半と呼ぶべき展開は、話数的にも約半分の時点で始まる。過去にメールを送るだけではなく、人間が過去に行けるようなマシンが出来上がりそうな段階で、主人公の幼馴染である弱弱しいキャラが、銃殺されてしまう。この時まで、作中で暴力的なシーンが全くといっていいほど無かった中、主人公の目の前で、この唐突で衝撃度最大の事件が起こる。半ば眠くてだるくなるくらいの前半は前振りであって、ここからシュタインズ・ゲートの真髄が幕を開ける。なぜ、殺されてしまったのか。なぜ、あの人物が発砲したのか。説明はなく、推測の困難な突拍子もない展開だ。

ここから、主人公は、タイムリープを使って、幼馴染が殺されないような過去改変を幾度となく繰り返すことになる。何度やっても、どう改変しても、殺されてしまう。この辺りで、幼馴染がどういう人物だったかが説明される。幼い頃に両親を失ったというような過去を持っていて、そのせいで、時折どこか遠くへ消えてしまいそうだったという主人公の回想が入る。唯一、幼馴染の精神を主人公だけが守りつづけてきたのだ。そんな主人公自身も、似たような過去を持っていて、深い悲しみをかばうような意味で中二病的な、全てを茶化したような振る舞いをやめられないのだ。こうなってくると、あのウザかった人格に憐れみを持たざるを得ない。そして、幼馴染を救うために何度も諦めず継続してトライする姿がとてもかっこいいのだ。

おまけ

ここからは、約一年後、2018年4月某日に書いたものである。

この作品は、一言で言ってしまえば、前半はつまらないがしかし重要で、後半はおもしろい。時間を行き来する SF 的な興奮、大切な人を失わないために孤独に戦い続ける主人公、終わらない過酷な日々が続くからこそ、うざかったキャラも平和で退屈だった日々も愛おしく思えてくる。

途中、未来からやって来た人物が、タイムマシンで別の時代へと移動することになる。ここで事故が発生するのだが、広瀬正の小説「マイナス・ゼロ」に出てくる事故と同様のものである。きっと元ネタなのだろう。

続編

最近、この作品のほぼ続編と言っていい設定の新しいアニメ「シュタインズ・ゲート ゼロ」が放送開始された。1話を観たが、不穏なものだ。主人公に平和はない。前作で大切な人の死を何度も経験し、精神を患っている。前作の構成は、前半に視聴を中断したくなるようなものだったが、今作は始めから緊張感が高く、楽しく観られた。

プライム映画の感想:大魔境&ゾディアック

Web 上には、アマゾンプライムというものがあり、映画やテレビ番組の視聴ができる。いくつかを視聴した。いくつかの感想を記す。

ドラえもんのび太の大魔境の感想

昭和、戦後の豊かな時代、ジャイアンが言う。探検がしたいと。なのに、アメリカ大陸はすでに発見されたし、北極にも南極にも人類は踏み入ったことがある。地球上どこにも探検する場所なんて残っていない。探検がしたいのに探検ができない。こんなにも悲しいことが他にあるだろうか。いや、ない。とても退屈だ。絶望している。

この問題は、2017年現在にも継続している。

さて、この探検心を満たしてくれる存在が、ドラえもんだ。彼は言った。アフリカだと。かつてアフリカは暗黒大陸と呼ばれていたという。事実だろう。暗黒大陸という単語を初めて見たのはハンターハンターだ。すなわち、作者の冨樫は、史実にある探検対象のなかでは著しく象徴的なこの名前をリアリティを高める狙いで使ったに違いない。

アフリカに行き、楽しい時を過ごした。現地人は言った。ある場所に行くべきであると。それは、探検であり冒険である。

誰かを助けるためではなく、世界を救うためでもない。純粋な好奇心から冒険が始まった。物語中盤にして逆境が一切なく、映画にしては違和感がある。そこがこの作品の最も優れているところだ。制作側は、おもしろげな展開をつくるため、逆境を入れるという安易な選択をしがちだ。しかしながらそれは最良とは限らない。難しいながらも順境に次ぐ順境によって世界を形成するという構造を採った制作側に敬意を表する。

順境だけで物語が進んでいくものといえば、日常系と呼ばれるジャンルの作品が平成後期に台頭してきた。そういった作品と同様の心地良さを「ドラえもんのび太の大魔境」で体験することができる。

ゾディアックの感想

ファイトクラブという十代のうちに食らっておいたほうがいい大傑作を生み出したデビッドフィンチャーのゾディアック。異常者ゾディアックによる殺人が発生していくが、誰も捕まえられない。静けさの中、銃口を向けられた状態で過ぎる時間の緊張感は、平和で退屈な日常を送っている視聴者の唐辛子となる。主役の刑事が良い。月日が流れても、どうぶつビスケットを欲している。

事件は迷宮入りした。新たな犯罪は起こらなくなった。人々は怯えずに外出するようになる。刑事も諦め、ゾディアック以外の件をこなす日々を送っていた。しかし、主人公は、それでもゾディアックに執着する。誰もやらないからこそ、自分がやるしかない。奇遇にも、暗号解読は得意で、それを役立てる時が今ここにあるのだ。冴えない人生で、たった一つ、一生夢中になれることを見出せたのならそれ以上のことはない。

半世紀が過ぎ、ゾディアックが人々から忘れ去られた頃、本は出版された。ゾディアックについて、劇中大半で描かれたことの主要が載っているのだろう。どんなに衝撃的なことであったとしても、人は忘れる。当人が死ねばなおさらで、何代も経てば、運がよければ伝承になろうが、おおよそは誰も知らない過去になる。だからこそ、本が店に並ぶということは素晴らしい。歴史はこうして記録され、積み上がっていく。ゾディアック事件はアメリカで起こった事実であり、制作されたこの映画もまた、視聴者に過去を伝える役割を果たした。

この作品にも、「ドラえもんのび太の大魔境」と同様、日常系の心地良さのようなものがある。映画の大部分は、主人公がゾディアックを追う日々を描いている。どこで一時停止しても、落ち着いた暗い画面でその様子が見られ、今日も相変わらずだと安心できる安定感がある。