6日目 (ひどい記事)

ブログ 6 回目の当記事は、とりとめのない作文 2 つをメインとして構成している。全くおもしろくなく、役立たず。書きたいから書いた。ただ、それだけ。昨日はメタすぎたが、今日のは、まるで、耄碌とむにゃむにゃ呟いているだけの、ゴミエントリである。しかしながら、他に書きたいこともないので、投下するより他ない。

社会というもののイメージ

東京のような、人の行き来の多い場所にいると、自分が人間の社会の中にいる、という感覚がふと蘇る。個人個人が尊厳を持って生きている。一戸建ての家屋。立派なものだ。設計者と施工者が、直角的なラインに誠実に、つくり上げた。本来、その場所には、土があり、草木が茂り、虫たちの楽園があった。誰の物でもない、地球の一部だった。

アスファルトで舗装された道路が張り巡らされている。白い線は、自動車のため、歩行者のための目印だ。土や川を覆い隠して、人間様が跋扈している。

人間は、人間と争う。権利という形なきものを主張し合う。

石油や石炭を掘り返し、生活のため、エネルギーを利用する。空調を効かせて、熱い空気を外に放出する。

人間が、他の生物より勝っていることは明らかであり、すでに、満足感を充填できているはずなのだが、社会には苦悩が蔓延している。

プレデターにあっさり四肢をもぎ取られて、エイリアンに捕食されて、ドラキュラからは吸血されて、巨人には噛み千切られて、鬼には叩き潰されて、宇宙人には拉致される。人間という生き物の一種は、そうもか弱い存在である。

人間の精神は、容易く傾倒する。戦争を経験すると PTSD を患うことがある。疲れやすくて、病みやすく、浅はかな期待感を胸に、思い通りにならないと、怒ったり、泣いたりする。

人間は、そんなにもやぶれやすいのに、頑丈な素材を用いて、巨大な都市を建造した。もはや、人間よりも、都市という建造物のほうが、支配者として相応しい強大さを有している。人間は、小さくて器用で、トシを操る寄生虫のようだったり、細胞の庇護がなければ壊れてしまう、無防備な DNA のようだ。

そんなイメージが連なっていく。

※この文章は、環境を保護しようとか、謙虚になれよとか、そんなメッセージか何かではない。ただの記録である。

だらだらと生きていこうね

人間は、だらだらしていていい。誰かや社会から、どんなプレッシャーを感じようとも、自分のスタイルで生きていけばいい。仕事熱心だったり、社会貢献に精を出したいタイプの人間もいよう。立派なものだ。が、自分は自分でいいのだ。正確には、「これでいいのだ」という確信がほしいのだ。モンスターの牙が皮膚を破って、柔らかな肉に突き刺さり、貪り荒らされ機能停止するその日まで、どうせなら、気楽に余生を送っているべきだ。

生きている限り逃れ難い苦悩から解き放たれて、自由自在に世界を旅する風になりたいのだ。が、どうしようもなく、脆い心身を背負って生存をつづける他ないのが頼りないのだ。せめて、つらい日々を忘れられるスイッチを知るべきだ。鳥の視点、魚の視点、数学の視点、文学の視点、誰かの視点、誰かの価値観、色々な世界観を飼いならしたいのだ。

反省

昨日より今日。今日より明日。とはよく言ったものだが、このブログは、まったく、良くなっていかない。今日の作文は、全くおもしろくない。頭の中を形にしたくて、書きとめられたはいいが、こんなの読むに値するだろうか。何ヶ月か経って、読み返したとき、得られるものはあるだろうか。これをおもしろく読む誰かはいるだろうか。むしろ、この反省文のほうがおもしろいではないか。

反省への反逆

とまあ、散々、こき下ろしているが、これでは、あまりにも、かわいそうだ。改めて、読み直してみると、そんなに悪くはない。文に目的意識がないので、どう受け取ったらいいものか戸惑わされるが、メタ的に偉そうに言っているクソ野郎よりも、心がこもっていて、かわいらしいではないか。

まとめ

もうやめよう。こんな言い争いを一人で続けていても、何にもならない。みんな、一生懸命に、書きたいことを書いている。それだけで、十分いい。今までも、これからも。書かれているじゃないか。人間は、か弱い、と。気楽に生きよう、と。ケツを掘り合って、幸せになろうよ。愛しているからね。いくよ。ブスリ。

アッーー!!!!

広告を非表示にする