腹痛中思考および夢日記

腹痛中思考

おなかが痛くなった。

トイレで腹を押さえながら涙を流す。痛さか眠さか両方か。

後悔、懺悔、自己嫌悪、羞恥、頼りなさなどで心がいっぱいになる。神はいない。痛くて苦しいのに、何にもすがれなくて、不安しかない。ひどいことを書いた。ブログにツイッターにひどいことを書いた。人を傷つけることを書いた。誰もが僕を嫌っている。敵視している。ウザいと思っている。そうした妄想が僕自身の首を絞めつづける。寂しいからって、「死ね」と書いたのはやりすぎだった。寂しい気持ちはどうしようもないけど、人を傷つけることを書かないようにすることはいつもできる。これからは、このことをいつも思い出して、ひどいことを書かないようにする。お世話になった方々、僕に興味を持っていただいている方々を不快にさせないように、裏切らないように、がっかりさせないようにしていく。ひどいことを書いて、ごめんなさい。どんな理由があろうと、ひどいことはもう書きません。

あとがき

上述は、腹の痛みが治まりたてに書いたものだ。熱さが喉元を過ぎたてだ。

そして、この文章は、それから一晩が経ってから書いている。

腹の苦痛により、ここまで、人間は反省することができる。いいことだ。

ひどいことを書くことにより、おもしろがる人もいる。フィクションにおける殺人は、エンターテインメントである。興味深いトリックを描きたいがために、人が殺される、推理モノの作品。虚構でなければ、むごすぎる行為である。架空の人物であればこそ、許されることなのだ。

が、ノンフィクションで僕は、言いたい放題するべきではない。「死」についての真剣な思考ならば、許されるかもしれないが、それもまた、やはり、一般的にはタブーであり、自分自身の精神をも、密かに蝕んでいる。生きるため、生かすための文章を書くべきである。

まずは、自分の心のために、ひどいことを書かないようにする。そうすることにより、腹が痛くなっても、懺悔などのマイナスな感情が芽生えないようになるであろう。あくまで、期待に過ぎないが。そして次に、人のために努力する。悪意をもって、つらい気持ちにさせてはならない。そのために、言葉を慎重に選ぶ。寂しすぎて暴言を吐きそうになったら、上述を思い出して、抑制する。

今は、腹は正常であるから、ひどいことを絶対に書いてはならないと、実感できるほどの反省の心はもう、持っていない。腹が痛くなってからはじめて、人の気持ちを推し量ることができた。実感できなくとも、実践していく。

夢断片記

ぼくはねこである。
対戦相手のねこは飛び乗って高いところにいく。
業務用でかい室外機を飛び乗るチャレンジ何度やっても失敗。
ぼくは人間の体のねこだから。

二輪。

クルマにじいちゃんがのってた。
チェックのシャツきてた。

大通り。コンビニ。サンクス。
不良ギャングBboyの溜まり場。
店長ふつうのおっさんだったが、ギャングが店長にかわった。
支配された。わるい人の住処としてのコンビニになった。

雨の中。
二人のアラサー男女と屯するぼく。
雨ざらしの三人。
地面が乾いているところは雨に濡れない。
雨宿りできるよと教える。
でもフチからぽたぽたと雫。だめだこりゃ。

学ラン不良。
殴られる。
仲間が連れ去られる。
ぼくもついていく。離れながら。
体育館にいくのだ。
人生終わりだ。
思い直す。警察に相談して打開しよう。
ぬくみず(警備員)誰かと話をしている。
ぬくみずにタップ3.(SOS)
新聞ひろげる。4こま。
ぬくみずに目で訴える。
助けてくれるよね?
ぬくみずはうんうんと頷く。
ぬくみずやってきて机を叩いて。
「何をする気だ。こわい顔して。」
このタイミングじゃない。
体育館に行ってから、暴行される現場をおさえてほしかった。

歯科。
踊場。
レントゲン。
機器を持つぼく。
先生に奪われる。

小学校からの友人たち。

未来都市。サイバーパンク。マンション。
さーもぐらふぃ。黄色い+黒い。

あとがき

以上。

見た夢を断片的に記録した。忘れないうちに、素早く書く必要があったため、言葉足らずである。だが、そのまま載せておく。わざわざ清書するほどの価値はない。少なくとも、自分があとから読んで、なんとなく思い出せればいいのだという期待だけを込めている。

Markdown では、改行を書くために <br /> と書かなければならない。どうして、1つの改行を、br 要素に置換するような設計になっていないのだろうか。

一通り、Markdown を書き終えてから、文の途中で 1 つだけ改行している箇所を <br /> に置換したい場合、(\S)\n(?=\S) にマッチする文字列を $1<br />\n で置換するとうまくいく。