楽しそうに表現することこそがジャスティス

自宅クーラーを解禁した。昨日・今日、だるいのは、暑い中で眠っているせいなのではなかろうか、と。まあそれだけではない。夏は、四季もっともカロリーを消費する。もっと食事をしなければなるまい。

こないだ、コップが割れた。三年ほど、お世話になってきた。上京した時、友人に仮住まいさせてもらっていた頃、マクドナルドでセットを買ったときにオマケでついてきた、思い出の品だ。自転車のロックの取っ手が折れるわ、コップは割れるわで、踏んだり蹴ったりである。厄年のようなサイクルが存在し、今年は当たりなのかもしれない。

今日もアクセス数が 0 だ。おもしろくない。いっそもう見ないようにしようか。でもそれだと、逃げたことになる。怖いものを増やすのはいやだ。どうしても気になるけど、アクセス解析を見たくない、こわい、いやだ、なんて恐怖症になっちゃって。めんどうなことだ。リアルにもネットにも僕の居場所はないのか。

あまり、上記のような話題は、書けば書くほどにつらくなるので、ツイッターでは書かないように努力しているが、ブログには書いておく。毎日 50 くらいアクセスがほしい、という贅沢なことはいわない。 0 はかんべんしてほしい。0 でさえなければ、こんな気持ちにもならないし、こんなことは書かない。0 であるがゆえ、ただそれだけで、負のエネルギーがここに発散されているのである。

お願いだ。助けてくれ。

なんつって。

もういい。決めた。今後、アクセス数のことは書かない。

人気実況プレイヤーの人は、再生数やコメント数について、言及しない。小物の僕とちがって、彼らは、数字には惑わされない。リスペクトだ。いや、人気だからこそ、そこそこ再生数があるから、不満がないのかもしれない。

実況プレイ鑑賞で、勉強になったことがある。それは、実況者が不快な感情をあらわにすると、不快な人が増えるということだ。コメントがそれを物語っている。例えば、ある実況者は、録画したファイルが事故で消えてしまったがために、動画中で、それを後悔していた。10 分間はグチグチと自分を責めていた。コメントには、「自分を責めるなよ」「いつまで後悔してんだ」といった怒りが並んでいた。

また、ある人は、視聴者からのリクエストに応えられないことで生じる申し訳ない思いを、低いテンションで口にしていた。僕は、それを観ていて、つまんなかった。誰かに左右されるのではなく、自分の好きなようにやってほしい。あんたがリードしてほしい。何より、楽しくやってほしい。そちらが楽しければ、僕も楽しい。楽しい実況を待ち望んでいる。

そこから、何が勉強になったかというと、自分も表現する立場にあるときは、何より、楽しくやる、ということが、他者の楽しさにつながる、ということだ。例えば、このブログである。おもしろくないとか、つまらないとか、そういった言葉は、せめて楽しそうに書かなければ、それこそがバッドなのである。現在の僕は、絶望的につらくもなければ、底抜けに楽しいわけでもない。ただ、疲れている。なので、楽しそうな演出をすることが簡単ではない。なんとか、元気を引っ張り出して、朗らかでいるようにしたい。次回のブログでは、心がける。