この記事の 90% は嘘です

この記事は、何日目だったか。忘れてしまった。

8 日目だ。

どうして、このブログが始まったのか。始めてしまったのか。連続更新の最初の記事は、本ブロに投稿した、ブラウザごとの差異についてのそれである。何の差異についてだったか。DOM 系の何かだった気がする。今、思い出している。表を載せたことは覚えている。…ああ、思い出した。textContent=undefined の挙動だ。

それから、どうして、連続更新をしようと思ったのだろう。

はてなダイアリーか何かで、ブログを長らく続けている人によるブログについて語っている記事がおもしろくて、印象に残ったから、その影響に違いない。

これを続けること自体が目的であり、記事がおもしろいかどうかは関係ない。が、おもしろいに越したことはないから、おもしろいことを書きたい。どういうのがおもしろいだろうか。

おもしろいにも二種類ある。自分がおもしろいと感じるのか、他人のそれか。そりゃ、もちろん、自分にとっておもしろいほうがいい。その上で、他人にとっても、おもしろいと感じられるものが書ければ、最もよい。

今までの人生で、ネットに、色々なことを書いてきた。本気で人を振り向かせたくて書いていたこともあるし、最近のように、野心もなくだらだらと書いていることもある。本気とは何だろう。へとへとに疲れるまで書くのが本気だろうか。きっとそうであろう。何よりも、情熱が大事であることはいうまでもない。

今は、大した情熱もない。諦めているに等しい。どうせ、僕には、人を感動させられるだけの力はない。自虐に走って、人の不幸を食べて生きる種族を喜ばせることは容易い。いや、本当にそうだろうか。それほど、酷い境遇にないから、無理かもしれない。精神的な後ろ向きさでは、そこそこのポテンシャルを持っていると自負しているが、世の中には、もっともっと後ろ向きな人間なんて、腐るほどいる。そんな世界で生き残れるわけがない。

はて。生き残るとは何だろうか。死ぬとは。それはつまり、人気というものだ。誰からも期待されなくなったとき、僕は死ぬだろう。ネットの世界で。

何を期待されているだろうか。何も期待されていないかもしれない。最近、ツイッターをやっていても、フォロワーが増えない。その原因としては、一つに、自分から誰かをフォローしないというものがある。フォローしたということが相手に伝わったとき、その誰かは、多かれ少なかれ、うれしさを感じるだろう。僕がそうだからだ。そして、うれしさを感じさせてくれた、僕という存在を高く評価するだろう。どんな博愛主義者でも、赤の他人よりも、フォローしてくれた人のほうをより愛すだろう。

フォローなどによって、相手に何かを与えることをあまりやらなくなった僕を高く評価する人間は、もう、いない。いや、いるのかもしれないが、いないと仮定しよう。そうでなければ、絶望を感じられない。僕は、絶望を感じたい。どうがんばっても、足掻いても、世界に見向きもされないという絶望を感じて、怠惰な自分を奮い立たせたい。そうでもしなければ、僕はこの先、一生、つまらない人間で終えることになる。

また、はてなブログの中で、ツイッターのことを書いてしまった。こんなことでは、はてなブログにも愛想を尽かされる。すべてが終わる。惨めになって終わる。誰も僕を見ていないし、愛していない。

などと、安易に自虐に走ってしまった。やっても無駄だ、というようなことを先述したくせに。どうしてだろう。ごく自然に、ツンデレをやってしまう。

自虐の良くなさについて、もう一つ書いておかなければならない。自虐は、へりくだりの極地である。自分を下げることによって、相手を上げる。

…それって、いいことのような気がしてきた。日常生活でも、すいませんすいませんと謝るのが日本人のスタンダードだ。

へりくだるのが良くない、という理屈は却下する。もっと深く掘り下げれば、否定できるポイントが見つかり、そこから崩していけるかもしれないが、日常生活を道連れにしてまで自虐を否定したくはない。こんなクソくだらないブログごときで、人生を無駄にしてたまるものか。

自虐を否定したい。なぜだろう。それはやはり、クズを喜ばせてしまうからに他ならない。クズは、自分より下の人間を、いつでも、探している。最底辺の彼らは、少しでもましになるために、自分より不幸な人間を見たがる。そんなクズが、僕の自虐という蜜をちゅうちゅうと吸うことによって、僕にまとわりつくようになる。とてもつらい。ただ単に、僕を遠くから眺めているだけならいい。あれこれ、会話をもちかけてくるようになると、まことに鬱陶しい限りである。なんの創意工夫もない、この上なくクソくだらない口調で、刺激も何もないどうでもいい腐った話を馴れ馴れしく投げてきやがる。どうして、お前は、僕より上の人間であると錯覚しやがるのか。教えてやろう、僕がお前をそう思わせてしまったからに他ならない。

そんな勘違いを、させたくはないのだ。僕もつらいし、こうやって毎回つっぱねて、傷つけるのも、うんざりだ。だから、もう、自虐はしない。いや、少しはするかもしれない。全くしないというわけにはいかない。たまには、そんな気分になることもある。だがしかし、クズを勘違いさせるわけにはいかない。彼らにはがんばってもらう。実力をつけてもらう。そうして、僕より、上にいってもらう。だってそうだろう。いつまでもクズと見下されているのが悔しくないのか。お前、勘違いしてるだけだぞ。不幸な演出に騙されてるんだぞ。そんなんでいいのか。おい。お前だよ。本当の優越感というものを味わえよ。自虐をしない、本当の、素の僕を、濁りなき眼で真正面で捉えろ。そうして、感じろ。「勝った」と。

さて。

こういうことを書くことで、本当にダメな人間になった感覚がある。

お前はクズだなんだと、偉そうに、書いているが、すべて、勘違いな気がしてきた。僕は騙してなどいなくて、実際に、クズに見下されるに値するほどの、超クズであるという説が頭をもたげてきた。何せ、こんな、日常生活では見聞きすることのない、痛々しいモノを平気で書いているのだ。頭がおかしいのである。本当のバカは、自分がバカであることに気が付かないという。

ああ。もうやめよう。つらくなってきた。

触れてはならぬ深遠に足を踏み入れた。

もうダメだ。

自分がダメになる。

明日のブログは、いいものになりますように。