クソブログ第二回目

昨日は、「クソブログ第一回目」と題して、このブログでの初投稿を行った。

その第二回目が、今日、書いている、この文章だ。「クソブログ」という名称は、あまりにひどいので、別の名称を与えてやりたい。が、ひとまず、クソブログということでやっていく。

今日も今日とて、強いメッセージ発信衝動もなく、どうでもよさげにこれを書いている。途中まで書いて、消す、ということをやりがち。何の意味があるんだろう、こんなことを書いて、と思う。ちゃんとやれ、と。

しかしながら、そんな態度をつづけていても仕方がない。どうも、自分の中で、毎日更新をすることに決まったらしく、とにかく何かを書かなければならない。「~ねばならない」という文句は、カタくるしいな。だが、意味的には、それで合っている。

ここまで書いたところで、全部、消したくなっている。なんだ、このやる気のなさは。昨晩、58 ツイートしたので、言いたいことをぜんぶ言い尽くしたような感じだ。そんな中で、書くなんて。蛇足以外の何ものでもない。

なんとなく、ここまで読み返してみて、気付いた。すべての段落が、だいたい 140 字以内に収まっているように見える。まるで、ツイートのようだ。しかし、違う。各段落を 1 ツイートとして、実際に、ツイッターに投下するとしよう。確実に、つらくなる。ツイートの締めくくりが「ちゃんとやれ」とか「何ものでもない」とか、そういう厳しいフレーズで終わっていると、落ち着かない。まるで、説教をしているみたいではないか。それか、あまりにマイナスの感情をイメージさせてしまう言葉だ。

落語のように、本筋がしっかりしつつも、お客との暖かいコミュニケーションのための、身振り手振りや、語尾のイントネーション、表情、そういったものをツイートには込めなければならない。それは、どうしても、心理的に欠かすことができないモノなので、本当の誠実さで文を生み出すことができない原因となっている。

ツイッター、ツイッター、どうして、はてなブログなのに、ツイッターの話題を出すのか。そんなにあの子が好きなのか。出て行け。と。言われかねない展開になっている。そういえば、ニコニコ動画の実況プレイ動画のコメントには、他の実況者の名前を出してはならないというローカルルールがある。もし書いてしまうと、荒れるのだ。「そいつの名前を出すな」という怒りが返ってくる。確かにそれはそうで。当の実況者が、他の実況者について言及しているコメントを見たら、つらくなるだろう。「どうしてあいつの話をするのか。これは他の誰でもない私の実況プレイ動画なのに」と。そして、視聴者もまた、実況者と共に、他の実況者に対してライバル意識があるに違いない。

その心理の正確な構造については、よく分からないが、僕の頭の中にも、その感情は生まれる。

もう、ここら辺で、この記事は終わりにしていいように思う。だいぶ文字数がある。ぱっと見、それなりの量があるので、見た人は「あ、ブログの記事だ」と感じるに違いない。という、そんな外面の計算はどうでもいい。自分自身で、納得できるかどうかが重要で。まだ、もう少し、このノリを維持して、さ。もったいないから、ね。せっかく、だんだんと筆もあたたまってきた頃なんじゃないの。どうなの、そこらへん。

僕よ、僕よ、もしもし、僕さーん。いらっしゃいますかー。どうだと思いますか、そこらへん。

おどけた調子を出し始めたので、そろそろ、一人だけ先にイっちゃうタイプのスベり芸と化す雰囲気を孕んでいる。

これでこの記事は終わり。バイバイ。