ブログ24回目ややメタ

昨日は確か午前中にブログを書いた。それからあまりにも時間が経ちすぎているので、まるで、書いてないように感じる。確か、書いたはずだ。今後は、こういった感覚を味わわないために、通常とは違う時間帯に書くということはせず、いつも決まった時間に書いたほうがいいのかもしれない。いや、それもそれで窮屈だ。ただでさえ、ブログを書かねばならないというプレッシャーがあるので、これ以上のストレスは控えたい。もうやめたらいいんじゃないだろうか、こんなブログ。何かを得られているだろうか。何かを与えられているだろうか。いやいや、そんな問題ではない。損得や気分の良さに依って書いているのではない。「できる限り毎日ブログを書く」と、そう決めたからには、何ものにも左右されず、書きつづける。なぜそう決めたのか。理由がない。理由もないのにつづけなくてはならないのは酷である。いや、酷とまではいかない。そこまでつらいことではない。戦争の被害者レベルにならなければ、酷などという表現を使ってはならない。こんなこと、つらいうちに入らない。とにかく、ルール通りに物事を行う、ということである。感情も損得も関係ない。ルールを守る。ただそれだけだ。

と、いうわけで、記事を書いていく。今日は、何を書こうか。

天気予報はくもりだったのに、雨がふった。

歯科へ。これまで、奥歯数本は簡単に終わってきたのに、前歯に時間がかかっている。歯の形状が、薄いということもあり、壊れないようにとか、人に見える部分なので、美的な質をできる限り高めるために、慎重に進めなければならないからとか、そういう理由なのだろう。そもそも、歯科へは、とりあえず親知らずを抜いてもらうために通い始めたのだが、とっくの昔に抜いてしまっている。そのついでとしての前歯にこんなに時間がかかるとは思わなかった。かといって、途中でやめるわけにはいかない。どのみち、治さなければ崩壊していただろうから、こんな現状はベストなのだ。

なんというんだろうかな。

異性の既婚者と会話をするのは躊躇われる。その人と、その伴侶のあいだにある絆を汚しているような気分になる。と、書いたが、そうでもないような気もする。というか、完全に嘘を書いたような気さえする。が、さらに、改めて考えると、嘘ではない気がする。自分で自分の気持ちがわからない。

はっきりせい。

こんな中途半端なことは、書かないほうがいいかもしれない。いやいや、その遠慮が全ての元凶である。0 か 100 かにこだわっていいような年齢ではない。もう衰えてきてやがるんだ、体も、心も。いつ死ぬか分かったもんじゃない。きれいを夢見る時代は過ぎた。泥臭いホモサピエンスとしてやっていこうじゃないか。

だが、そうだといっても、中途半端は気持ちわるいものだ。文章を読んでいて、すがすがしい気分になれる、そういうものを書くことに価値がある。ふつうの日記は誰にでも書ける。そんなものを僕にも書けというのか。ご冗談を。僕はセンスがいいから、センスのいい文章を書くという使命を背負っている。誰もがそう期待している。などという、キザな陳述をここで一発かましておく。

気持ちはいつでも中途半端だ。100% に振り切れた感情なんてない。そんな、曖昧なものをそのままの形で表現すれば、奥歯に物が詰まったような文章になるのは当たり前である。しかし、正直でありたい。本音を吐いていたい。嘘がバレそうでヒヤヒヤしながら生活するのなんてまっぴらごめんだ。がしかし、本音というものはモヤモヤとしており、そのままでは、すがすがしくないのだ。竹を割ったような文章を生みたいのに。ここをどうするかが課題である。このブログを今後も書きながら、答えを探す。