プライム映画の感想:大魔境&ゾディアック

Web 上には、アマゾンプライムというものがあり、映画やテレビ番組の視聴ができる。いくつかを視聴した。いくつかの感想を記す。

ドラえもんのび太の大魔境の感想

昭和、戦後の豊かな時代、ジャイアンが言う。探検がしたいと。なのに、アメリカ大陸はすでに発見されたし、北極にも南極にも人類は踏み入ったことがある。地球上どこにも探検する場所なんて残っていない。探検がしたいのに探検ができない。こんなにも悲しいことが他にあるだろうか。いや、ない。とても退屈だ。絶望している。

この問題は、2017年現在にも継続している。

さて、この探検心を満たしてくれる存在が、ドラえもんだ。彼は言った。アフリカだと。かつてアフリカは暗黒大陸と呼ばれていたという。事実だろう。暗黒大陸という単語を初めて見たのはハンターハンターだ。すなわち、作者の冨樫は、史実にある探検対象のなかでは著しく象徴的なこの名前をリアリティを高める狙いで使ったに違いない。

アフリカに行き、楽しい時を過ごした。現地人は言った。ある場所に行くべきであると。それは、探検であり冒険である。

誰かを助けるためではなく、世界を救うためでもない。純粋な好奇心から冒険が始まった。物語中盤にして逆境が一切なく、映画にしては違和感がある。そこがこの作品の最も優れているところだ。制作側は、おもしろげな展開をつくるため、逆境を入れるという安易な選択をしがちだ。しかしながらそれは最良とは限らない。難しいながらも順境に次ぐ順境によって世界を形成するという構造を採った制作側に敬意を表する。

順境だけで物語が進んでいくものといえば、日常系と呼ばれるジャンルの作品が平成後期に台頭してきた。そういった作品と同様の心地良さを「ドラえもんのび太の大魔境」で体験することができる。

ゾディアックの感想

ファイトクラブという十代のうちに食らっておいたほうがいい大傑作を生み出したデビッドフィンチャーのゾディアック。異常者ゾディアックによる殺人が発生していくが、誰も捕まえられない。静けさの中、銃口を向けられた状態で過ぎる時間の緊張感は、平和で退屈な日常を送っている視聴者の唐辛子となる。主役の刑事が良い。月日が流れても、どうぶつビスケットを欲している。

事件は迷宮入りした。新たな犯罪は起こらなくなった。人々は怯えずに外出するようになる。刑事も諦め、ゾディアック以外の件をこなす日々を送っていた。しかし、主人公は、それでもゾディアックに執着する。誰もやらないからこそ、自分がやるしかない。奇遇にも、暗号解読は得意で、それを役立てる時が今ここにあるのだ。冴えない人生で、たった一つ、一生夢中になれることを見出せたのならそれ以上のことはない。

半世紀が過ぎ、ゾディアックが人々から忘れ去られた頃、本は出版された。ゾディアックについて、劇中大半で描かれたことの主要が載っているのだろう。どんなに衝撃的なことであったとしても、人は忘れる。当人が死ねばなおさらで、何代も経てば、運がよければ伝承になろうが、おおよそは誰も知らない過去になる。だからこそ、本が店に並ぶということは素晴らしい。歴史はこうして記録され、積み上がっていく。ゾディアック事件はアメリカで起こった事実であり、制作されたこの映画もまた、視聴者に過去を伝える役割を果たした。

この作品にも、「ドラえもんのび太の大魔境」と同様、日常系の心地良さのようなものがある。映画の大部分は、主人公がゾディアックを追う日々を描いている。どこで一時停止しても、落ち着いた暗い画面でその様子が見られ、今日も相変わらずだと安心できる安定感がある。