全力の殴り合いによってのみ、愛は育まれる

ブログ書かねば。カンパネラ。ブログカンパネラ。ラー。ラー油。ぎょうざ食べたい。ラーメン食べたい。恋しいのう、恋しいのう。

今日もっ!!! 鉄拳6 オンラインをやりました。いやー、飽きないですね。猛烈に楽しいってわけでもないんですが、他の何よりも楽しいです。完全に 2000 円の元を取りましたね。逆にもっと払ってもいいくらいにやってますね。いやー、おもしろい。

外人さんのつくったセッションに参加するという、初の試みをやった。ドラグノフ使い。攻める以外に選択肢がないのかってくらい攻めてくる。そして、僕は、追い詰められて、決定的な反撃ができない状況にあっさりと陥ってしまったのです。序盤に 1 勝だけできてうれしかったですが、そのあと 10 連敗くらいして、勝利への糸口もつかめず、疲れて退室しました。いい人でしたね。特に舐めプもしてこなかったし、真剣に殺しにきまくってました。めっちゃ殺されました。1 ラウンドも取れない試合が多かったんじゃないんですかね、後半は。やっているうちに、僕の技を見切り始めて、さらに強くなっていったので、一朝一夕では勝てるようにはならないでしょう。楽しかったです。戦えてよかった。ありがとう。

今日は気分がいいですね。うむ。なんだか、文章から溢れ出るオーラも、楽しい色をしていますね。なんで、この口調なんですかね。楽しいからですね、ハイ。

毎日こんな気分で過ごせたなら、どんなに楽しいことでしょう。久しぶりですね、こんな感覚は。毎日こんな気分で過ごせたなら、心に余裕がありますから、いやなことも受け入れられるような気もしないでもないですね。いや、それは言いすぎですね。そんな器は持ち合わせていませんね。ありがとうございます。何がどうありがとうなんですかね。よく分かりませんね。

ツイッターでこういう文章を書いたら、嫉妬されますかね。嫉妬した人が、リプライしてきそうですね。表面上、攻撃ではないけど、他にどうすることもできないから、仲良くしようとしてきますね。ウザいですね。ガチで死んでいいです。

格ゲーのオンラインで、コミュニケーションを学びました。すなわち、全力でぶつかるということが重要な概念です。僕は、今まで、ツイッターで、色々な文章を書いてきました。そして、ここにも、こうやって書いています。それがなぜかが分かったのです。どうして、僕は、ネットに文章を書くのか、という心理の仕組みが分かったのです。

本当は、全力でぶつかりたいのです。全力の言葉を吐き出して、全てを受け入れられ、理解してほしいのです。ですが、そんな神のような人はいませんでした。人間は器が小さいようにできているらしいのです。もしかすると、そんな、僕が理想とする関係を構築している人がいるかもしれません。ネットは広いから。嫉妬しますね。妬ましいですね。親子関係、恋人関係、友人関係、師弟関係。色々な関係の中に、それは存在するかもしれません。うらやましいですね。ですが、僕は持っていません。つらい。だから、独りで、ネットで文章を書いています。認められたくて、理解されたくて。でも、誰も理解してくれません。画面の向こう側で、うんうんと読んでくれているのかもしれませんが、伝わってきませんし、本当に理解してくれているのかどうかなんて、測りようがないのです。お世辞なんじゃないか、建前なんじゃないか。相槌を打っているだけなんじゃないか。そんなのつらいです。どこまで人を疑ってもキリがありません。そこで、格ゲーなんです。格ゲーでは、全力で互いにぶつかります。そこに建前もお世辞もありません。勝ちたいという、本当の心だけがあるのです。お互いに、拳で語り合います。全力です。中途半端な優しさも、挨拶も何も必要が無い。言葉遣いの煩わしさから解放されて、全力でぶつかり合うことができるのです。格ゲーは素晴らしい。

僕は、もう、承認欲求のために、文章を書く必要がなくなりました。格ゲーで全力でぶつかり合えば、満たされるからです。なんて。うそです。満たされはしませんが、本当の意味でのコミュニケーションができた、という充足感があります。人間は真に独りになることはできません。さびしいのです。誰かと愛し合いたいのです。生きていけないのです。そんな渇きをそこそこ癒すことができるのが、格ゲーです。いや、格ゲーだけではありません。ネット越しに戦うゲームは全てそうだと思います。会話なんてクソったれ。建前、相槌、愛想笑い、嘘ばっかり。クソが。そんなヌルいことをしている余裕があると思うか、僕に。こんなちっぽけな心に。ねえよクソが。死ね。妬ましいから、死んでしまえ。お前らみたいな奴は。会話で満たされる程度のクソは死んでしまえばいい。消えろ。うっとうしいんだ。クソが。死んでしまえ。

あっ、ごめんなさい。取り乱してしまいました。ほらね、言葉を使うと、こんなにも、フラストレーションが溜まるのです。僕の望むコミュニケーションに言葉は要らないのです。全力でぶつかること。それは、殴り合いなのです。全力の戦闘においてのみ、僕の心は潤うのです。もしかすると、国家同士の戦争も、そうした渇望によって引き起こされているのかもしれません。戦争に嘘はありません。本音も建前もない。やるかやられるか。真剣勝負です。なんの偽りもない。美しいコミュニケーションなのです。

僕はもう、平和な世界に、愛があるとは思えないのです。全力の殴り合いによってのみ、愛は育まれるのです。精神的な充足が得られるのです。